隣の女子高生の洞察力

2019/03/24 午後11時記す
 

   日付を超える前に日記を書くのは初めてだ。間隔は空いているものの、継続して書いている。前回なにを書いたのか忘れた。

 

 いつ日記を書けばいいのだろうか。やはり寝る直前だろうか。それがいい気がする。しかしつい長く書きすぎてしまう嫌いがある。次の日に早起きしようと思っているのに、そのせいで翌日何もない日は、寝過ごしてしまう。どこに句点を打てばいいのかいまだによくわかっていない。しかし昔に比べて文体というものが少しはわかってきたような気がする。数多くの文体についての本を読んだ。嘘だ。ほんの少しだけ。丸谷才一の本は読んだ。谷崎潤一郎のは買っただけ。山本貴光の本は当時買わなかった。しかし今は読みたいと思っている。今日、今年どんな本を読むのか決めた。菊地成孔東浩紀の全著作を読む。

 

 高校三年生の時、受験勉強をそっちのけにして、伊坂幸太郎の本を全て読んだ。あれはなんだったのだろう。現実逃避といえばそうだ。試験勉強をいざ始める前に片付けをしてしまうような。それとはちょっと違うか。あのときに比べれば時間はある。そうだ。なにをバランスよくやろうとしているのか。僕は一気に集中してやるタイプだ。多分。分散型じゃない。大学生になってから、バランスよくやろうとしている。しかし、それをこえてくるものもあった。海外ドラマとアニメだ。F.R.I.E.N.D.S は一年生の前期期末試験のときに見終えた。一番楽しかった頃だ。当時の彼女との関係も良かったときだ。BigBangTheoryも二年生の後期試験のときに見終えた。俺ガイルもそうだ。グリッドマンも。ゾンビランドサガも。でもなに一つ覚えていない。受け身で見ていたんだろうな。ただ流して見ることができるもの。それじゃダメだ。感想がない。自分の言葉がない。いつもそう。上辺だけ。何回この話をするんだろう。ちゃんと自分の言葉で何かをいえたことはあっただろうか。

 

 一度だけあったような気がする。その時は、観終わった後に、違和感を書き留めていた。そうだ。書くことが重要なのだ。書くと覚えておける。そこから何かを思いつく。全てを頭の中だけで構成できるのは天才だ。友人のKはおそらくその類だろう。Rも多分そうだ。読んできた本の数、くぐり抜けてきた修羅場の数が違う。大して本も読まず、ぬるま湯に浸かってきた僕とは持っている言葉が違うのだ。だから、僕は書く。菊地成孔はネタ帳を持っているとラジオの中で言っていた。今週ラジオでなにを話そうかとメモをしていたらしい。例えば、小田急線に乗っていた女子高生の話を。

 

 twitterで隣の席の女子高生の話がバズることがよくある。それと似たようなものだろう。創作も混じっているのだろうけれど。生まれつき核心をつくのが上手い人種がいる。物事を、本質を見抜く力。天性のものだと僕は思っている。学歴も職業もなにも関係ない。彼女たち、つまり、隣の女子高生たちはそうだ。本当の意味で頭のいい人たちだ。僕はそうではない、と思う。はっきりとそうではない、と言うのもある種のナルシシズムだ。本当はそうではないと思っていることが多い。僕はそうなりたい、のだろうか。

 

 兎にも角にも僕は二人の全著作を読むと決めた。二人とも核心をつくのが上手い。そして何よりも、話が面白い。僕の憧れの大人だ。格好いい。でも完璧じゃない。よく悩んでいる。宮台真司が、感染しろ、と言っていた。格好いい大人に感染しろと。もうそれしかないのだと。感染、つまり病気になれということだ。治るのか、かかりっぱなしなのか。読み終えた後、この日記を見直してほしい。僕はどう変わっているだろうか。

 

 本来、TikTokの広告を見て感じたことを、東京旅行とつなげて書くつもりだった。宣言のようなものをしてしまった。ぜひ、明日はそれについて書きたい。筋トレして走って寝よう。