2019/06/11 午前1時記す

 

 無駄なことに時間を使っていることが多い。見なくてもいいtwitterを開き、あまつさえフォローすらしていない、したくない知人のつぶやきを眺めている。教室にいるダサい人がなぜダサいのか、なぜ彼をダサいと思ってしまうのか、そう思うことをやめたほうがいいのかと自問自答している。
 
 そんなことをしている暇があれば、音楽を聞いたほうがいい。何か英単語を一つでも覚えたほうがいい。何かいい文章を読んだほうがいい。何か気の利いたジョークを一つでも考えたほうがいい。面白かった本の、映画の感想を考えたほうがいい。
 
 だなんて思ってはいるものの難しい。できればそうしている。それが僕の弱さだ。昔からそうだ。こんな愚痴ばかりの日記を書きたいわけではない。どうせ愚痴を書くならば面白く書かなければ。笑いに返還しなければ。文字通り変換を間違えた。この文字通りの使い方はあっているのだろうか。

 

 Kという友人は、怒りを、そして悩みを笑いに変換するのが上手い。彼はそれを詐術だと言った。誰を騙しているのだろう。俺なのか、それとも自分自身なのか。

 考えてみると、僕の好きな文筆家は、ラジオパーソナリティは皆、怒りや悩みをうまく笑いに変換して伝えてくれる人たちだ。怒りを変換するのが上手いのは大泉洋東村アキコ、そして朝井リョウだ。悩みを変換するのが上手いのが、オードリー若林や星野源だ。リリーフランキー菊地成孔はちょっと違うところにいる。彼らの文章をたくさん読み、話をたくさん聞いてきたのに、僕はこれまでなぜそれに気づいていなかったのだろう。ただ読んでいるだけ、ただ聞いているだけだったのだ。こんなことではOronoに怒られる。

 

 面白い人間になりたい。五年ほど前、「あなたはつまらない人間だ」とある人に言われた。落ち込んだ僕は、それ以来、面白い人間になろうと努力をしてきたつもりだった。つもり、だっただけだ。僕はずっと受動的な人間だったのだ。自分からは何もしていない。チンケなプライドや自意識をいつも守ろうとしている。笑われることをダサいと思われることを浅いやつだと思われることを怖がっている。それが一番ダサいのに。「PKを外せるのはPKを蹴る勇気のあるものだけだ」と言ったのは誰だったか。コナンで読んだ誰かの名言をしばらく忘れていたようだ。

 

 文章のスタイルを変えてみるべきだ。明日やってみよう。これではダサすぎる。