2019/06/13 午前3時記す

 

 中途半端に真面目に生きてきた。根底にあるのは、怒られたくないという気持ちだろう。誰かの怒りが怖い。その怒りが自分に向けられたものではないとしても。

 テスト期間だ。テスト期間はいつも部屋が汚くなる。食事もコンビニや外食が多くなる。勉強する時間を確保しなければという言い訳にかこつけて、不摂生な生活を送る。それに、運動や読書、日記を書くことさえも止まる。テスト期間を非日常だと捉えている。

 大学のテストごときを、非日常だと思っていてはダメだ。非日常はもっと素敵なことのためにとっておかなくては。例えば、クラブに行って踊る時間、気になるあの子と過ごす時間、一人でポップコーンを食べながら映画を観る時間。どちらの方が大切かなんて考えなくてもわかる。

 勉強は生活の一部にしてしまうのが一番だ。テスト前日に慌ているようではダメだ。一周回って、真面目なことを言っているような気がする。夏休みの最後に慌てて宿題をやるやつと、始まりの一週間ぐらいで計画的に終わらせて、涼しい顔で残りの日々を楽しむやつのどちらがダサいのだろう。

 しょうもないことをダラダラと書いたが、要するに、講義をスマホをいじらずに真面目に聞けばいいのだという話である。結局、そちらの方が時間を無駄にせずにすむというだけの話だ。にもかかわらず、いつの間にかtwitterを眺めている。完全に依存している。

 スマホを触る時間を減らせば、より長く眠れる。いい音楽をたくさん聞ける。いい映画を、ドラマをたくさんみることができる。本当はそんなことわかっている、のかもしれない。それは果たしてわかっているのか。頭と心のどちらかがわかっていないような気がする。

 これは少々ややこしい問題だ。例えば、スマホで嫌いな人のtweetを眺める時間があれば、まとめサイトを泳ぐ時間があれば、さくらももこのエッセイを読んだ方がいいのは明確だ。少なくとも僕にとっては。言うまでもなく、代替可能だ。有意義だと思っている行動よりも、無駄だと思っている行動を人は選んでしまう。選んですらいないのかもしれない。何かにとらわれるように、取りされ割れるように、無駄な行動を選ばされてしまう、という表現なら少しはマシだろうか。

 テスト期間中にもかかわらず、こうやって初めて日記を書いているのは、抵抗だ。依存症に対する治療の一環だ。しかし睡眠は足りそうにない。授業中に、twitterを見ていたせいだ。そしてそこで目にしたものの一つも覚えていない。