2019/03/15 午前3時記す

 ここ数日、就寝前になると体調が悪くなって日記が書けなかった。十日ぶりぐらいである。この十日間、何をしていたのだろう。思い出してみる。
 まず、高校数学について説明をした動画を作ってみた。もっと上手くできるだろうと思っていた。声で誰かにバレたくないので、ボイスチェンジャーアプリを使って声を変えてみた。これが気持ち悪い。バレるかもしれないと思っていること自体が気持ち悪い。それはまあいいとして(よくないのだけれど)、違和感がありすぎる。声質というよりも、喋り方を思い切って変えなければならない。躊躇していてはダメである。モノマネの練習をしてみようと思う。これまでも幾度となく日記で書いてきたが、私は中途半端な人間である。
 と、思っていたのだが、それは最近の私は、である。中学生の時の私は最初から最後までやり通す人間であった、ように思う。特に、中学二年の途中までは。それはなぜだったのだろうか。ほぼ徹夜で誰かのために、誰かに見られるために作業をしていた。テスト前に好きな子のために対策プリントを作ってあげたりしていた。自分の実力がわかっていたし、どのくらいの反響があるかもわかっていたということもあるかもしれない。何より、それを見てくれる人がいた。彼らの中では抜群に頭がよかった。それはただ塾に行けたからだ。ピアノが弾けた。それは習わせてくれていたからだ。何も自分の力ではない。それを自分で獲得したものであるかのように、誇示していただけに過ぎない。学年を超えれば同程度の学力の人は同じ中学校にもいた。その事実からは目をそらしていたか、気づいていなかっただけだ。塾に行けば、自分よりも賢い人はたくさんいた。それなりの勉強でも、それなりに有名な私立高校に受かった。だからなんだ。全力を出していなかったと思う。本気で勉強をしていなかった。それでも英語がまあまあできたから、自分のプライドは保てていた。高校に入学して、そのプライドは崩される。
 塾に行っていないのに、自分よりも賢い人がゴロゴロいるのだ。勉強しなくなった。高校入試の時に蓄えた英語の貯金だけで、高校でもいいクラスには行けた。理系教科の勉強には、ほとんどついていけてなかったと思う。志望校にも受からなかった。何をしていたんだろう。YouTubeと2chのまとめサイトばかり見ていたと思う。そうだ、部活だ。頑張れば、成果が出るような部活だった。それなりに強くなれた。でもそれなりだ。いつだって私は基礎を徹底しない。なんとなくの、雰囲気だけの理論や応用に逃げるのだ。それっぽいことを言っているだけ、学んでいるだけ。それっぽさだけを身につけるのは得意である。基礎体力があれば、最後のあの試合で負けることもなかっただろう。なぜか泣けなかった。それは最後まで全力でやりきったという思いがなかったからであろう。中学の時の部活も、振り返ればそのようなものだ。いつだってやりきったという思いがない。それにもかかわらず、万能感を得ることができていたのだ。裸の王様だ。私のことを裸の王様だと、イカサマだと指摘してくれたのが、MとRだ。私を裸の王様にしたのは、KとTだ。した、とあるが彼らの責任ではなく私の責任だ。きっかけとした方が正しいのかもしれない。
 イカサマではなく、本物の力をつけたい。本物が欲しいと言ったのは誰だったか。体力をつけろと言ったのは誰だったか。

 なんて過去を振り返ると、少し硬い文章になってしまう。過去を振り返って否定する自分に酔っているんじゃなかと、自分に釘を刺し続けなければならない。それに、また釘をさす自分が…とメタな構造でこれは永遠に続く。いつ終わるのか。再帰性について考えなければならない。とは書くものの結局は書いてそれで終わりである。またメタなことを言っている。再帰的に考えることができるのが人間だ、みたいな文章を最近読んだ気がする。読んだことを思い出す力、まとめる力がない。その力もつけたい。

 『スパイダーバース』を見たり、元カノと幼馴染が混ざったような夢を見たり、久しぶりに恋をしているのかもしれない、と色々なことがあった。が、もう1500字を越えている。そろそろ寝よう。エクリチュール、という言葉の意味がいまいちわかっていないけれど、とりあえず、書きながら考えるということを今年はやっていこう、なるべく、毎日文章を書こう。